余談ながら、会社から指示のあった内容で、つっこみどころにメモ。
いやまあ、言っている意味はわかるんだけど。
- 狭い場所:相手と3m以上離れないような状況での会議・打ち合わせは自粛。
- おそらくは会話時の唾液飛沫を警戒してるんだろうけどさ。
3m以上離れられるような会議室はあんまりないし、
隣の席の人との『ここどうする?』みたいな相談もできない。
こりゃ、仕事がまわらんだろうに(^^;;;
- 食堂で対面食事する場合、極力会話禁止。
- あの〜。会話しないで食べるんだったら、1人で食べるのとなんもかわらんのですが(^^;
ご意見などがあれば。
なんでもGoogleれば、それなりに情報が転がってるからね。
一応誤解がないようにいうけど、別に友瀬は、
先人達が時間をかけて作り上げたモノをなんでも自分で『再発見』しなければならない、なんて言う気はないよ。
あるものを探して、それを使うことは当たり前。
つーか、そうやって人間の使う技術は発展してきたんだし。
ただ、自分で『切り開いていく』ことをしたことがなく、結果そういう労力を知らずに『あって当たり前』というようになっている雰囲気が、あるんじゃないかな、と思う。
昨日の記事内の『2ch,ぐぐれかす』だって、『Google検索という、かなり便利なツールを使って切り開く程度のこともしない』ことを、揶揄する意味合いで突っ込んでるケースが多いと思う。
情報の話とはちょっとずれるけど、有償サービスや不正ダウンロードとかの、『払うべきモノを払うことの是非』的問題にもつながっていくところ。
ただ、ここはちょっと意見が違うかな。
ネットの知見とは、元々そうやって成長してきたはずで、ひたすら情報をPullするための仕組みではなく、Pushするための仕組みであるべきだ。
個人的には、そうあるのが美しいと思うけど。
人間、ボランティアや強い発言ができるかどうかってのは、たぶんに差がある。
これを『すべき』にしちゃうと、いわゆる『がんばりすぎ』につながっちゃうと思う。
だから、そんな苦労をしてまでPushする必要はない。
Pullオンリーだっていいのよ。
Pullの際に、その提供者に一言、お礼・感謝・敬意を。
ただそれだけで、いい。
Webに情報を出すことには、誰も義務を持っていない。
にもかかわらず、そういう情報を公開していたり、質問に回答をしてくれるような人は、本質的には『善意の人』だ。
そういう人は、ただ一言の心が届けば、普通、癒される。
でもそういう人にだって『仏の顔も三度』は適用される。
・・・もう長年、公開や相談のようなことをやっている人の、体験からくる意見。
ご意見などがあれば。