『投稿』って、一昔前の普通の人ができた、
『言いたい・見せたい・やりたいを、広い範囲に対して行う』ための数少ない方法の1つだったんだよね。
売ります・買います的取引にしても。
文通者求む欄にしても。
イラストやネタ投稿なんてのも、そういう感じ。
だけど、これには『編集者・担当者による選別』という壁があって。
送っても、それが採用されるかどうかなんてのは、わかったもんじゃない。
それだけに、それが実際に載ったときは、本当にうれしい。
そういうところから編集と仲良くなって、本職デビューしていく人だっている。
人によって感覚は違うかもしれないけど、少なくとも友瀬には、実体験に基づいた事実。
時代は変わって、今。
売ります・買います欄は、多くのオークションサイトにとって代わられた。
文通なんてのは、同好の士が集まる掲示板やチャットサイトが、あちこちにある。
各種創作物だって、投稿サイトもあれば、自分でサイトを作ることもできる。
そしてこれらには、誰かの許可をとる必要はない。
もちろん出した後、他者からネガティブな意見がくることもあるだろうけど、
それは本質的に『見られることもなく没』というのとは、違う。
もちろん、今でも投稿場所はのこっているけど、それ以外でも発表の場は多くあって。
・・・採用される喜びってのは、見た人の声に変わっていく、ってことなのかなぁ。
前述の過去日記に書いた話にかかわるけど、これによっていなくなった
『中間にいた人==編集者』の目が無くなったことは、何かに影響でないのかなぁ。
いろんな理由で『Webが使えなくなった』人には、影響はでないのかなぁ。
何かがそれを埋めているのかしらん。
時代の流れなのかもしれないけれど、なんか、考えさせられる。
ご意見などがあれば。
友瀬はさらっと『投稿』なんて言って。
実際今までにもいろいろと投稿をしてきたし、採用されたことも何度かある人間で。
だけど、友瀬の友人でそういうことをしていないと思われる人は、何人もいる。
もしかしたら一度や二度は試みたことがあるのかもしれないけど、少なくとも頻繁にしたことはないはずの人たち。
で、そういう視点で見てみると。
友瀬の友人で、Webサイトを作っている・いた人たちと、
そういう投稿をしている・いた人たちってのは、かぶってるように思う。
逆も真で。
Webに情報を出していない人は、たぶん投稿の類もしたことがなさそうな気がする。
別にその人たちに創作的才能がないなんていう気はない。
一緒に遊んでて、勉強になること・感心させられたことなんて、山ほどある。
前の日記にも通じるけど。
結局、こういう行為には人の向き不向きが、あるんだと思う。
投稿なんてことをしない人がいるように、Webに情報を出さない人がいたって、何の不思議もない。
別に知識を『万人に広く』教えなければならないという法はない。
目の前にいる人に問われたから、目の前にいる人が困っているから、教える。
それだって立派な知識の公開だ。
文字や写真だけでは伝えられない、肉を伴う知識だってある。
それだけの、話。
ご意見などがあれば。