日記/2007-11-18

2007-11-19 (月) 00:00:51 (4377d)
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2007冬リメイク:29ページ仮

身をかがめる仮

地道に作業中。
この「かがめる」は最初に描いたときから自分でも気に入っていて、年賀絵とかにも使ったページ。
まあそれでも、かれこれ15年前の絵なわけで・・・今見ると、いろいろ後悔もある。
って感じで、いろいろ手をいれた結果が、こんな感じ。

まだ鱗をつけてないので、妙にさっぱりしていて気持ち悪くはあるんですが(笑)


友瀬はどちらかというと保守派ですが

やっぱりですね。
今あるものには、なんらかの先人の知恵が埋まっている可能性が高いわけで。
無碍に変えちゃいけないと思うわけです。
もちろん、知らなくてやってしまうことは仕方ないのですが、もしその背景を知ったなら、相応に考慮する必要があると思います。

ただ、誤解してほしくないのですが、友瀬は「絶対に変えちゃいけない」なんていう気はないのです。
先にあげたことの裏を返せば。
相応の妥当な理由があるならば、過去の遺産も時にゆがめたり捨てたりしなければならないと思います。

例えば「食べられる or 食べれる」と言ったいわゆる「ら抜き言葉」。
これを嫌がる人は多いですし、友瀬も嫌いです。
これ自体、いろいろ変わってきた結果、現代国語としては「ら抜きは誤り」とされているものです。
動詞活用の定義の過程でそうなったもので、つまりは覚えやすい規則性を重視した変化を遂げてきたわけです。

で、これに対して、こういう反論がよくあります。
「言葉は変わっていくものなんだから、ら抜きはそれでいいんだ。」
・・・これには友瀬的には、まったく賛同and/or納得できません。
確かに変わっていくものです。それを否定はしません。
現代語だって、たかだか数十年前の文章を読めば、あきらかに言葉が違います。
ですが、変えるならきちんと理由をもって変えてほしい。
これが通るんなら、こういう主張だって認めなければならないじゃないですか。
「変わっていくということも、変わっていく、つまり変えない選択を選ぶように変えたっていいじゃないか。」

以上前振り。
先日某匿名掲示板で、面白い主張がありました。
その文意をおおざっぱにいうと・・・

  • 「食べられる」では、「食べることができる」なのか「捕食される」なのかがわからない。
    →だから、以下のように使い分ければいいじゃないか。
    • 食べられる == 捕食される。例:ユーカリはコアラに食べられる。
    • 食べれる == 食べることができる。例:コアラはユーカリだけを食べれる。

要は能動・受動の使い分けですね。
友瀬的には「一理はあるが、てにをはをきちんと使えばすむ話。現状を変えるほどのことではない」と思いますが・・・
それでも、ただ「変わるものだから」というよりはよっぽど建設的な内容で好感を持ちました。

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