『お客様は神様です』ってのは、店側が商売をうまくまわすための心構えで。
だから店側の人が言うのは妥当だし、利害の絡まない第三者が一般論的に言うのもありだと思う。
でも、当事者たる客が店に対してそれを言うのは、ちょっと違うよね。
もちろん、店側に本当に落ち度があって文句をつけるケースはある。それはいい。
でも『お客様は神様だろ』と文句を言うお客様は、往々にして『その店での平均的基準を越える対応を求める』クレーマーだと思う。
友瀬の偏見もあるだろうけど。
で。『察してくれ』的な話に視点を移すと。
『察する』って本質的には善意の行いなんだよね。
あの人はこうして欲しい/こうして欲しくはないだろうと考える。
すなわち『相手にとって心地よい環境をお世話する』アクションなのだ。
そういう意味で『友達に対して察した行動をする』ってのは『お客様は神様です』に通じるものがある。
そう考えるとさ。
自分に対する相手の行動が不満で、相手に対して『察して行動してくれ』ってのは、結構傲慢だよね。
『俺は客なんだから神様として扱え』と言ってるのと、筋は同じだと思うわけさ。
人付き合いは商売じゃないから、完全に同じとは言わない。
『金取ってないんだから自由だろ』って意味じゃないよ。
きちんと善意・好意をもって対応しようとしている立場であっても、違うところがある。
一番大きいのは、基準となるサービスの合意が違う、というところかな。
店ってのは『何かを商取引する』ことを目的としているわけだ。
その意味で、サービスの範囲もかなり明確。
例えば中華料理屋は『中華料理を提供するサービス』だ。
だから、そこで『寿司を売ってないとは何事だ』ってクレームは普通しない。
例えば『セルフサービス』前提のマクドナルドで、『料理を席まで運べ!』というのもアレだろう。
#これを無視するトンデモクレーマーもいるみたいですけど(笑)
人付き合いだと違うよね。
誰でも、自分の価値観に従った『やってもいいと思う』範囲ってのがある。
でも普通、それを明確に『どんなサービスだ』なんて主張する人間なんていない。
『察して行動してよ』という言葉は、しばしばこの境界線を踏みこえてしまうものだと思っている。
特に付き合いが長く・深くなるほど、期待される『サービス』の幅も増えてしまいがちだし。
また、人付き合いは『それぞれが店を持っている』ようなものでもある。
店の運用事情は、それぞれの店ごとに違う。
ある店がディスカウントしているからといって、他の店すべてがディスカウントできるわけじゃない。
『うちは値引きしたんだから、あなたもしてよ』とクレームをつけられても、困る。
友瀬は基本的に『察することは苦手だから教えて』の立場だけど。
これについても『察して行動してくれないと嫌だ』クレームを受けたことがあって、正直もやっとした。
お前さん、友瀬がどうしてこう行動してるのか、察してからそれを言ってる?
『察する』という行為は『相手にとって心地よい環境をお世話する』アクション。
だけど『察する』って想像が前提なんだよね。だから『外れる』可能性は常にある。
『外れたお世話』は、すなわち『余計なお世話』だよ。
友瀬が『余計なお世話』をされたら、どう思うか。
はっきり言って、困る。
我慢して受け入れるのは、苦しい。望んでないことなんだから。
でも『違う』指摘するのも心苦しい。相手の善意にダメだしすることになるのだから。
これを裏返して考えているので、友瀬はわからないときは素直に聞くことが多い。
期待されることとは違うだろうけど、大事故を避けるための善意でもあるわけだ。
気持ちはわかるのよ。理想的には『聞かなくても察してうまくやる』のがいいんだから。
でも超能力者でもない身の友瀬、そんなにうまく『察する』自信はない。おこがましい。
その『外した結果相手が困る』可能性を考慮して、避けているんだよ。
つまりは『気分悪くならないように、察した』結果の行為なんだよ。
そこで『察してくれない』とか言って、『危険だから避けた』方法を要求されても困るわけさ。
ご意見などがあれば。