友瀬は『相手が何を望んでいるか考えて行動しろ』という話については、基本的には賛成。
でも同時に。
それは『相手が望むことをやりなさい』とは同義ではないと考えています。
差はわかりますか?
考える必要はあるんです。
でもその考えた結果『本当に相手の望むことか否か』がよくわからない、なんてことは当たり前にある。
それを忘れちゃいけないんです。
相手のためを思って、好意に基づいて何かを行う。
でもそれが、相手にとっては決してうれしくない内容で、裏目に出る。
そんな経験を『自他両面で』何度も積み上げてきた身からすれば。
よくわからないけどたぶんこれが相手の望み、と考えてのアクションは、外れるリスクがあるわけです。
その『外れ』は、相手にとっての落胆と、こちらにとっての徒労感の元。
お互いの好意・幸せのためのアクションだったのに、なんという不幸。
ならば、わからないならわからないなりの行動をすることが、
本来あるべき『相手の望みを考えて行動』じゃないんですかね。
『友瀬的常識』で、他の人に同意してもらえるかどうかはわからないですけど。
ときどき書いていますが、
『人間それぞれ違う脳みそを持っていて、考え方が違う』のです。
『こうされると嬉しい』『こういうのは嫌』なんていうのは、
個々人の常識に基づくわけで。
相手が何を望んでいるのか 100%理解・推察できる、なんてのはおこがましい考えだと思う。
相手が、この行為を望むか否かを考える。
でもわからない。
そうしたら、どうすればいい?
『どうすればいい?』『どう思う?』『俺はこう思うんだ。』
・・・それが人間のコミュニケーションだと思います。
ニッチな・デリケートなことについては、その話題がでること自体が『暴力』で、
それゆえに話題に出すこと自体がアレなのは事実ですし。
その『ニッチ』『デリケート』という基準ですら、人によって異なるものですし。
『熱烈なラブコール』と『ストーカー行為』の差、っていう話にも似てるかもしれ
ません。
俗に言う『ただしイケメンに限る』の世界。
同じようなことをやっても、ある人は不快には感じず、ある人には不快なんてこともザラにあります。
そういう意味も含めて、だからこそ難しい話だとは思いますけど。
ご意見などがあれば。