言わんとしていることは、わかる。
上記記事で話題になっている、ボカロ曲やMMDを使ったPV風CG作品などは、結局のところ、二次創作。
彼流に言うならば、『ミク』や『アイマス』を初めとした『できあがったキャラというルールと、
ボーカロイドやMMD、アイマス映像といったインフラの上で生まれた』のは、間違いない。
ミクというブランドを背負えなかったら、その楽曲は誕生したのか。
誕生していたとして、生身の人間が歌ったらどうなっていたか。
アイマスというブランドを背負えてなかったら、そのPV風CG作品は生まれていたのか。
誕生していたとして、そのダンスを生身の人間が踊っていたらどうなっていたか。
そういうプロとしての視点において、これらを『素人の消費』と断ずるのは、理解はできる。
上記記事内、新人に対しての叱責も、クリエイションのプロとしては当然だろう。
一次創作を求められるプロが、二次創作的企画を出すとは何事だ、と。
そういう、部下への叱責だけならば、なんの不満もない。
だけど、それを理由にした、そこに積み上げられているモノすべての創作性に対する意見は、いただけない。
友瀬だって別に、ニコニコにある全ての作品が、一から積み上げられた創作物ばかりだ、なんていう気はないが。
『楽曲を作る』ことは、創作ではないのか?
否。絶対的な、創作だ。
『ダンスの振りをつける』ことは、創作ではないのか?
否。絶対的な、創作だ。
たとえそれらが、二次創作のキャラの上にかぶせられていたとしても。
独自の世界観・キャラ・ストーリーを作らないようなのは、創作ではない。
・・・この監督の弁には、そういう驕りが、感じられなくもない。
この監督が、『東のエデン』のすべての動画を描いたのか?
否。『できあがったキャラ・世界観というルールと、デジタル作画できるインフラの上で』、それを描いた人がいたはずだ。
この監督が、『東のエデン』のすべての音楽を作って、演奏したのか?
否。『できあがったキャラ・世界観というルールと、実際に演奏できるインフラの上で』、作曲・作詞・演奏をした人がいたはずだ。
アイマスの世界観を元にいろいろやっている。
ミクをもとにあの界隈で生まれた世界観を元にいろいろやっている。
そこにある創作と、何が違うのか。
それにね。
この監督の弁は、遊び場と修行/仕事の場をごっちゃにしているように思う。
例えば、カラオケBoxで歌っている人間を指して、
『既存の歌詞とメロディというルールと、それを提示できるインフラの上でやってる「消費」活動だ』
なんて大上段で言うのは、明らかにボケてるよね。
そもそもカラオケってのが娯楽の場なんだから、なにをそんな当たり前のことを、っていう感じ。
中にはバンドなどの練習場として借りて、創作曲をやってる人もいるかもしれないけど、少数派だろう。
ニコニコ動画の作品の多くは、本質的には、こういうモノなんだよ。
これも上記で語られているコミケにしたって、そうよ。
一次創作をやっていて、そこからプロになっていく、
『クリエイタへの道』として利用している人は、もちろんいる。
だけど本質的には、自分がやりたいからやってる、趣味としての二次創作活動の場だと思う。
まあそうは言っても、コミケにしてもニコ動にしても。
人気のある二次創作者をプロ〜セミプロとして扱って、ビジネスにする。
創作者や利用者も、それに乗ってる。
創作者にしても、単なるファンジンではなく、その時期の『旬の』ものを追うような、企画的意図を持って動くケースが多い。
そんな環境が当たり前になっているのは、間違いない事実。
『日曜大工品』と『工業製品』、『企画屋』と『クリエイター』との間にある区切りを意識しづらい状態になっているというのは、あるかもしれない。
その視点でみれば、件の新人の弁は、『日曜大工品を実用品と見誤ってしまった、企画屋』としてはあり得る範疇に思える。
『製品を作るクリエイター』としての振る舞いを求めた上司たちの叱責もまた、筋が通っている。
こういう現状自体が、クリエイター育成としては、あまり好ましくはないのかもしれないね。
ご意見などがあれば。